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「頭がいい」の正体は読解力


「頭がいい」の正体は読解力 (幻冬舎新書)

いつの間にか小論文の問題を解いていた
おおむね正解 後半はダレた


そんなまとまって本読む時間取ってないから
問題文の途中で読むの中断
再開したときに戻って解くかって解かない


内容は基本的な話
話の芯はどこにあるのか?
何がいいたいのか?
どこがフレーバーなのか?
そういう話


小論文は結局受験で使わなかったから
自分がどれだけ論ぜられるのかは知らない
というか大学の卒論とか読み直したくないもんな
ヒドすぎて


今書いたらもう少しマシだけど
大学の頃は読解力というか
読む知識量のベースが圧倒的に不足していた
だってほとんど遊んでたしな
図書室はよく使ってたけど、そんだけ
読むタイプだけど足りてはなかったね


今は行ける 読書は習慣化されている


読んでて思ったのは文章を簡潔にまとめる力って地力出る
文章を掴む力、それ読解力っていうんだけどさ
日本語で会話はできるけど、文章が書けない奴を多いじゃん?
俺は昔からそんなに苦手意識がない
というかそういう奴マジでバカだと思ってるし
ちゃんと思いたいし見下したい
だから学んでいる


読むことも大事だけど
読ませる、ちゃんと認識される
そんな文章を書きたいよね


インターネット記録もいい加減にして
ちゃんとした文を書く場所でアウトプットしないと伸びないよな
この本でも言われていたけど、読書感想書いていこうなっていうてた


ただの記録だから
本を読んだ時の状況込々の感想でしかないから口語
文面を改まる気は欠片もない
でも考えを書いておくのは大事よね


語彙力は大事だよ 表現が変わる
意味合いが変わる だから面白い


吾輩は猫である。名前はまだない。
でサンプル定義あった
順番が入れ替わるだけでも言いたいことの強さが変わるもんね
わかる時はわかるって言ってから入りたいもんな
わかるって現象に対して、
わかる。それってあれこれだよね。って流れで行きたい


本書でいうところの型のクソほど質が悪いモノ
こんなしょうもないモノでも、
意識して言うのと意識しないで使うのは格が違う


自己を見つめて、面白さを見出して
適宜 ちゃんと言いたいことを言おうな

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って書けって言われた